ある億万長者が知る「ドル崩壊を生き延びる知恵」|マイケルセイラー【前編】
マイケルセイラー(以下、Michael Saylor)
平均して、あらゆる政治体制下において、通貨は30〜40年ごとに崩壊しています。
これは人類史全体における傾向です。
この100年でもっとも優れた通貨はドルでした。
20世紀を制した通貨、世界でもっとも優れた通貨が、その価値の99.9%を失ったのです。
なのにそれが、“勝者”なのです。
インタビュアー(以下、Jordan B Peterson)
なるほど。
そしてあなたはビットコインに出会い、それを“抽象化された金(ゴールド)”のようなものとして語っていましたね。
Michael Saylor
もし神が「神の銀行(Divine Bank)」を設立して、すべての金融問題を解決してくれないのであれば、次善の策は何でしょうか?
我々は政府を信用していません。
地元の銀行も信用していない。
互いのことも信用していない。
それでも「1000年続く銀行」を持ちたいと願っている。
だからこそ、ビットコインネットワークを構築しようというわけです。
こんにちは!yutaro です。
本日のPro向け「BTCインサイト」は、Jordan B Peterson氏によって公開されてたMichael Saylor氏へのインタビュー動画を日本語訳・編集してお届けします。
彼が過去にAppleやAmazonなどのテック株に投資し、それが「 20倍になった」という事実には驚きました(元々ビジネスや投資が上手い方だったのですね)。
ただのビットコイン買い増しおじさんだと思っていた彼の生い立ちや、経験則からなる思考の奥深くなんかも知れて、この対談、正直めちゃくちゃ面白かったです。
と、前置きが長くなってしまいましたが、それでは以下より本文をお楽しみください。
(※全文書き起こし【前編】です / 中編 & 後編 もどうぞ)
Jordan B Peterson
本日のゲスト、マイケルセイラー氏は、あらゆる基準から見ても成功した企業を複数立ち上げてきた人物です。
しかし彼にとって、それでは自らの野心のスケールには足りなかった── 僕はそれを肯定的な意味で言っています。
彼は2020年にビットコインに深く興味を抱くようになり、それ以来、金融の革命の最前線に立ってきました。
彼の会社は現在、流通しているビットコインの約3%を保有しています。
彼が血と汗と涙で築き上げた会社は、今や爆発的な成功を収める企業となりました。
彼はビットコインの伝道者であり、宗教的な象徴や用語を使ってその思想を語ってきました。
ビットコインへの情熱に燃えています。
今日、僕たちは非常に重要な話をしました。
たとえば──
マイケル・セイラーとは誰か?
彼の野心はどこから来たのか?
幼少期に読んだSFやファンタジーと両親の支援が、彼のビジョン形成にどう影響したのか?
ビットコインは、今や世界中で金のような存在として貨幣標準になりつつあります。
この1年で、革命的な変化が起きているのです。
新しいトランプ政権の影響もあって。
あなたが若者であれ、中年であれ、あるいは高齢であっても、
「自分の人生を構成する労働の価値をどうやって保存していくのか」── その問いに関心があるなら、ぜひこのポッドキャストを聴いてほしい。
マイケル・セイラーの話に耳を傾けてください。
さて、あなたがビットコインに出会ったのは、僕の理解では2020年3月だったようですね
それまでもビットコインは存在していたし、あなた自身も別のことを長年やってきた。
でも、その出会いは、あなたの人生を横方向に転換させたように見えます。
あなたはエンジニアであり、ソフトウェアエンジニアでもある。
だからこそ気になるのは、あなたが何を発見し、何に気づいたのか。
その結果、どうしてそのような深い方向転換が起こったのか?
なぜそれを正当化できると考えているのか?
なぜあなたはその思想を広めようとしているのか?
Michael Saylor
僕がビットコインを発見したのは、キャリア30年目のことでした。
1989年の終わりに会社を立ち上げて以来、30年間ずっとエンタープライズ向けソフトウェア会社「MicroStrategy」の経営に携わってきました。
1998年にはナスダックで株式公開を果たしました。
当初、僕たちは一つの事業に集中していました。
それは、銀行や大規模小売業者、保険会社などが自社データベースにある全データを分析してリスクを評価し、マーケティング戦略を立てられるようにするソフトウェアを販売することです。
たとえば、「どの商品がどれと一緒に売れているのか?」というバスケット分析をしたり、その他あらゆるリスク評価を行いたい大企業向けに、独自の分析システムを構築する。
これを僕たちは「ビジネス・インテリジェンス」と呼んでいました。
この事業は成功しました。
そして僕は30代、40代の「拡大期」に突入し、もっと多くのものを創造したくなったんです。
そこで、僕は10以上の新規事業を立ち上げました。
「Angel.com」「alarm.com」「Strategy.com」「hope.com」といったドメインを買い集めて、それらをもとにビジネスを立ち上げました。
いくつかはシングルヒット、いくつかはダブルヒットでした。
たとえば「voice.com」は3000万ドルで売却しました。
「Angel.com」は約1億ドルで売却。
「Alarm.com」はスピンアウトして、現在は時価総額数十億ドルの上場企業になっています。
他にも6〜12個ほどの新規事業を立ち上げましたが── 正直、それらはすべて失敗しました。
「なぜビジネスの成功では満たされなかったのか?」
Michael Saylor
僕が始めた最初の事業が、1990年から2020年の間で最も大きな成功になりました。
次のアイデアはそこそこ── たとえばダブルヒット。
さらにその次はシングルヒット。
そのあとは、すべて空振りでした。
いろんなアイデアにたくさんの時間をかけました。
どれも大好きだったし、素晴らしいアイデアだと信じていました。
多額の資金も投じました。
でも結局、世界は僕と同じ考えではなかった。
僕は複雑にしすぎていたんです。
これは重要なポイントです。
2010年ごろには会社として過剰に手を広げすぎていました。
10個くらいの事業をやっていて、まるでコングロマリットのようでした。
でも、結局「1つだけはうまくいっていて、残りの9つはうまくいっていなかった」ことに気づいた。
そして、もっと集中しないといけないと思いました。
そこで本業に立ち戻り、再フォーカスしたのです。
その後の10年間、僕は「2つの体験」をしました。
1つは“仕事”としての体験。もう1つは“個人の財務”としての体験です。
Michael Saylor
この10年、僕は年間2,500〜3,000時間働いていました。
2,000人の社員と共に、10万もの“正しいこと”をやっていました。
本当にすべてを試しました。
僕たちは5億ドル規模のエンタープライズソフトウェア企業でしたが、最終的には生き残った。
競合99社、あるいはもっと多くの競合が倒産・撤退していきました。
つまり、僕たちは“勝者”だったのです。
ただし、その勝者は── マイクロソフトという巨大企業と戦っていた「ダビデ」のような存在でした。
この10年間、僕は開発に莫大なお金を投じました。
うまくいかなかった。
マーケティングにも巨額を費やしました。うまくいかなかった。
情報システム全体を刷新しました。うまくいかなかった。
人事システム、営業システム、マーケティングの仕組み……すべてに執着し、莫大なコストをかけました。
世界中を飛び回ってプレゼンし、あらゆる都市で話をしました。
でも── うまくいかなかった。
本当に、考え得る限りのすべての手段を尽くした。
それでも10年後、会社はまだ5億ドル規模のままでした。
ほとんど成長せず、マイクロソフトという“超巨大な壁”にひたすら頭をぶつけていました。
Michael Saylor
僕たちは「ゾンビ企業」とも言える存在でした。
利益は出ているし、潰れるわけではない。
でも成長はしない。
投資家から見て“つまらない会社”なのです。
Googleでもなければ、Facebookでもない。
モンスター級ではない。
でも、そんな会社は世界に1万社はある。
そして、ほとんどの会社がそのカテゴリーに属しています。
これが僕のプロとしての現実でした。
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