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ライトニングネットワーク誕生秘話:ビットコインを支えたもう一人の立役者【前編】

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yutaro
Sep 20, 2025
∙ Paid

みんなが既存のビットコインの全データベースを保存する代わりに、何かしらのアキュムレータ(蓄積構造)が必要なんだ。

全員がすべてのビットコインを保存するのではなく、そのトランザクションが正しいことを証明できる仕組みを作ろうという感じ。


こんにちは!yutaro です。

本日のPro向け「BTCインサイト」では、ライトニングネットワーク論文(ホワイトペーパー)を共同執筆したひとり、Tadge Dryja氏へのインタビューを取り上げます。

彼の意外な過去から、ライトニングネットワーク誕生の秘話など、当時の様子がリアルに語られていて、とても面白い内容でした。

(※本日は前編です… 中編はコチラ)


Isabel Foxen Duke(以下、イザベル):
やあ!タッジ!ようこそ。来てくれて本当にありがとう。

Tadge Dryja(以下、タッジ):
ありがとう。ボストンに来て、MITの人たちに、あるいはボストンにいる人たちにインタビューされるのはいいね。

イザベル:
そうですね。最初にあなたのことを知ったのは、私がハンターと一緒にBIP-360に取り組んでいたときで、あなたが量子コンピュータに関する提案を出していたからでした。それからあなたについて調べれば調べるほど、あなたがこの10年間に成し遂げてきた数々の貢献に本当に驚かされました。

タッジ:
(笑いながら)

イザベル:
インターネットで「タッジはレーダーの下で活動しているビットコインのヒーローだ」と言われているのを見ました。あなた自身はそう思いますか?

タッジ:
いやあ、自分で宣伝はしないんだよ。名前はパスポートに載ってるけどね。オフラインで隠れて生きようとは思わないけど、セルフプロモーションはしない。ただ作業をしているだけなんだ。


イザベル:
私があなたに最初に会ったのは、ボストンBitDevsでだったと思います。ハンターが登壇して量子について話していた。同じ週にMITビットコインExpoもあったんです。

タッジ:
うん、覚えてるよ。

イザベル:
そのとき少し言葉を交わしたのを覚えています。でもそのときは、あなたが量子の提案をしていたことを知らなかった。それを後から知って楽しかったんです。ちなみに、あなた最近Lightsparkに関わってましたよね?

タッジ:
そうだね。2022年から去年まで、ほぼ2年間働いてた。

イザベル:
ちょうどいいですね、Lightsparkはこのエピソードのスポンサーでもあるので(笑)。

タッジ:
OK。


ビットコインとの出会い

イザベル:
いちばん効率的なのは最初に戻ることだと思います。あなたはどうやってビットコインに入っていったのか?そしてライトニングが最初の大きなプロジェクトだったのか?その話から始めましょう。

タッジ:
そうだね。僕がビットコインに出会ったのは2011年だ。どこで知ったのか正確には覚えてないけど、シルクロードについてのニュースを読んだんだと思う。それで「ビットコイン」というものを知った。「何だそれ?」と思って検索した。論文を全部読んだかは分からないけど、ある程度は読んだ。当時、日本の大学で働いていて、勤務中に読んだんだ。勤務中にネットでいろいろ読むのは普通でしょ?

イザベル:
大学で働いていたの?アカデミアにいたの?「ビットコイン以前」の経歴はどうだったの?

タッジ:
ちょっと変なんだ。学部では電気工学とコンピュータ工学をやっていて、どちらかといえばハード寄り。でもソフトもやってた。その後、美術の大学院に行って写真でMFAを取った。だからしばらくはアート界隈のことをしていたんだ。それから日本に行って、最初は写真の仕事をしたかったけど、うまくいかなくて大学でIT的な仕事をすることになった。授業も少し教えたけど、主にはeラーニングの運営を担当していた。三重大学だね。かなりランダムだろ?でも僕は「コンピュータが分かるし、ここはいい」と思った。数年間そこにいたんだ。


初めての論文との遭遇とマイニング

タッジ:
それで2011年にビットコインの論文を読んだ。最初にPDFを閉じて「これは人類史上いちばん違法なものだ」と思ったんだ。「見なかったことにしよう」って(笑)。でもその夜、家に帰ってもう一度読んだ。そしたら「もうWindowsは使えない。Linuxしか使えない」って思った。

イザベル:
あらまあ。

タッジ:
で、その晩にもうマイニングを始めたと思う。すぐに「これ本当に動くのか?頭おかしいぞ」って。どうやって止めるんだ?プルーフ・オブ・ワーク(PoW)の部分で「電気を全部使い果たすんじゃないか?」って。とにかく「これはヤバい」って感じたんだ。

イザベル:
そのとき、あなたにとっていちばん刺さったのは検閲耐性だったの?それとも何が世界観を揺さぶったの?

タッジ:
いや、一方ではすごく馬鹿げているとも思った。マイニングっていうのは。

イザベル:
魔法のインターネットマネーってことね。

タッジ:
そうそう。とにかくマイニングが目についた。プルーフ・オブ・ワークによる合意形成がクレイジーな新しいアイデアに見えたんだ。トランザクションや署名の部分は「まあ、そういうものだよね」って感じ。2100万枚という話は、そのときは全然気にしていなかった。僕にとっては2100万っていう数字は重要じゃなかった。「だから何?」って。

イザベル:
金融政策の部分は関心がなかったのね?

タッジ:
そう。むしろ、それがいまの巨大な執着になっているのは残念に思ってる。「2100万だ!」って、みんなそればかり言う。でもそこは最重要じゃない。もしサトシが「ブロックごとに1ビットコインが発行される」って設計にしていたとしても、そんなに違わないと思う。それでも面白いシステムだよ。重要なのは、誰もそのノブを回せないってことなんだ。


日本での体験と震災の影響

タッジ:
で、僕は日本に住んでいて……2013年初めごろ、2011年に少しだけマイニングをした。でもすぐに福島の地震と原発事故があって、「マイニングなんてできる雰囲気じゃない」ってなった。国全体が「節電だ」っていうモードに入っていた。だからやめた。もし続けていたら、もっとビットコインを持っていたんだけどね、まあ(笑)。

イザベル:
あるあるの話ね。

タッジ:
でも興味は持ち続けた。ただ公には話さなかった。「これ違法になるかもしれない」って思ってたから。

イザベル:
普通の仕事もあったしね。

タッジ:
そう。翌年には「これを仕事にしたい」と思うようになった。コンピュータのことは分かっていたけど、暗号のことはほとんど知らなかった。署名やハッシュについても。ハッシュは少し知っていたけどね。


暗号の学び直しとアメリカへ

イザベル:
暗号は独学だったの?

タッジ:
学部でコンピュータサイエンスの授業は取ったけど、暗号はやっていなかった。だから2012年の春にサンフランシスコに行ったんだ。スタートアップやテックはそこにあると思ったから。友達がスタートアップをやっていて、スマホのワークアウトアプリを作っていた。それでその週末は友達のところに泊めてもらった。でも当時のサンフランシスコには、まだビットコインのコミュニティはほとんどなかった。

それで日本に戻って、「大学院に行って暗号を学ぶか、あるいはビットコインをやるか」と考えた。そしてバージニア大学に行くことにした。

イザベル:
暗号を学ぶために?

タッジ:
コンピュータサイエンス全般だね。最初の1年で指導教官を3人変えて、その後やめた。ビットコインの研究をさせてもらえなかったんだ。みんな「このテーマの研究費があるから、これをやってくれ」と言う。でも僕は「いや、僕はビットコインをやりたい」と思っていた。


大学院での研究と最初の論文

タッジ:
唯一よかったのは、暗号の授業を取れたことなんだ。アヴィ・シャラットが授業をやっていて、その授業で僕は採掘についての論文を書いた。で、その論文のアイデアは――まあ、要するに「将来的には、実際に採掘をするんじゃなくて、“採掘すると脅す”ことになるんじゃないか」っていう話だったんだ。

イザベル:
(笑いながら)面白い。

タッジ:
そうそう。で、今でもね、それには何かあると思ってる。まあ、そのときにやったバージョンは上手くはいかなかったけど。で、アイデアとしては、「もし誰かが再編攻撃を仕掛けたら、俺たちは全力で採掘をするぞ」っていう、そういう感じ。つまり、「攻撃をやめろ、さもなきゃ俺たちは本気を出す」みたいな。OPECみたいに協調して、「よし、今から電気代を全部使ってでもマイニングするぞ」って脅すんだ。で、そうすれば電気代を節約しながら、報酬を配分できる、みたいな。

イザベル:
なるほどね。

タッジ:
で、僕が想定してたのは、「チップ1ドル分に対して100ドル分の電力を流す」みたいな世界だったんだよ。でも実際にはそうはならなかった。現実は、チップをどんどん買い替えていく世界だった。つまり、資本支出(CapEx)がずっと高止まりしちゃったんだ。だから僕のアイデアとは違ってたんだよね。

イザベル:
だから最初は、あなたはマイニングの部分にすごく惹かれていたってことなのね。

タッジ:
そう。だって、そこがいちばん新しかったから。トランザクションとか署名とかは、別に新発明じゃないでしょ。でもマイニングはまったく新しいものに見えたんだ。

イザベル:
うんうん。

タッジ:
でも結局、僕がやった主要なプロジェクトはマイニング関連ではなかったんだよね。


サンフランシスコへの再挑戦

イザベル:
じゃあ、それを書いたのが2013年の初め?

タッジ:
うん、2013年の初めにその論文を書いて、それからPhD(博士課程)を辞めて、引っ越して、あ、あと、2013年の3月にも、またサンフランシスコに行ったんだ。

そしたら、もうSFBitDevs(サンフランシスコ・ビットデブズ)があって、人がいっぱいいて、タリーク(Tariq)とも話したし、Krakenのジェシー・パウエルとも話した。

ほかにも、いろいろな人と話して、「ああ、オーケー。もうここに引っ越すべきだな」ってなった。

僕は2年早かったんだ。あ、いや、違う。ごめん。2014年の初め、ごめん。つまり、最初に行ったのが2012年で、2回目が2014年の初め。

で、「まあ、早かったけど、今度こそここに来るべきだ」と。だから、そのまま仕事もアパートもないのに、サン…サンフランシスコに飛んだんだ。

イザベル:
ワオ。

タッジ:
最初はKrakenで働くことになるのかな、って思って、Krakenのオフィスで1〜2日ふらっと過ごしてみた。

で、たぶん彼らは僕を雇いたかったんだと思うんだけど、でも、直接的にはそう言われなくて、なんというか、変で気まずい感じでさ。

「うーん、本当に僕を雇いたいのかどうか、よくわからないな」って。それで、ほかの会社にも応募した。

で、最終的にはVaurumっていう会社で働くことになった。最初はVaurumって名前で、途中でMirrorに改名した会社。

そこに行ったのは、ニック・サボがそこで働いていたから。「おお、それはクールだな」って思って、行って、参加した。


イーサリアムへの関与

タッジ:
で、最終的にはイーサリアムをやることになった。会社としてやることになったプロジェクトがそれだった。

で、その間ずっと、みんなと話してた。みんなは「イーサリアム上で、合成資産とかデリバティブ契約とか、いろんなことができる」って言うんだ。

僕は「それってビットコインでもできないの? たぶんビットコインでもできると思うけど」って感じで。

で、僕はいつも、僕はいつも、その……


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Koji Higashi
·
September 4, 2023
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