ビットコインとクリプト/web3はもう完全に別物です【FTX事件からの教訓】
元々この記事は、FTXの件が一段落ついてきたのでその件から学ぶべき教訓は何か?というテーマで「Self custodyの重要性」「集権的コインのリスク」「今後規制が与える影響考察」などについてまとめようと思っていたものです。
ただ実際書き始めると、頭の中では大体内容は固まっているのですが、何かどうも筆が進まないというか、ちょっと何かあまり面白くないし、時間がかかる。「うーん、辛い、何かちょっと違うんだよなー」と勝手に苦しんでいたところ、NBCNewsに投稿されたこちらの「FTX's downfall and crypto's Bitcoin betrayal」という英語記事をちらっと読んで、「あーそうだ!一言で言えばそういうことだよ!!」と勝手にすごく腑に落ちました。
この記事だけではなく、FTXの事件を受けて今アメリカを中心とした英語圏では、「Bitcoin, not Crypto(web3)」もしくは「ビットコインとクリプトは別物である」という言説が界隈の中だけではなく、メインストリームメディアでも改めて一部注目され始めています。
アメリカではこの2年ほどでビットコインにトピックを限定したカンファレンスが多く開催されており、ビットコインとその他のコインの法的な位置づけが明確に違うこと、また、イーサリアムのProof of Stakeへの移行という技術的な変化もあり、「ビットコインとその他のアセットは違う」という認識はユーザーや開発者だけでなく、企業や既存金融、政治家や規制当局の間でも一定の理解が進んでいます。
その一方で、日本では意図的か理解不足かは別として、そもそもビットコインとクリプトというものを差別化して考えている人はあまりおらず、全てをごちゃまぜに考えている人が多い気がします。
じゃあそれの何が問題なのか?という部分も含めて、FTXの件を受けて「ビットコインとクリプトは別物である」という主張について説明しつつ、FTXの件はこれで自分の中では精算という形にしようと思います。
そもそもビットコインとは何なのか?
ビットコインとは何か?という質問は単純ですが、人によって注目するポイントや説明すべきポイントも違いますし、端的に説明するのは自分にも未だに難しいです。その上で、「ビットコインは信頼という概念の革新」もしくは「信頼の分散化」というのが最も重要なコンセプトの一つだと言えると思います。
ビットコインは個人や特定の機関への信頼を必要としない(最小化した)形で、予測可能な発行スケジュールに基づく希少性のあるデジタル貨幣を実現しました。同時に外部からの検閲耐性を持つグローバルな送金ネットワークを実現し、自分自身で秘密鍵を管理することでデジタル上の資産を自己管理(Self-custody)出来る世界を生み出しました。これらの性質を総称して、「トラストレス」などと言うことがありますが、誰も信じなくても自律的に機能し続ける貨幣&送金ネットワーク、それがビットコインの本質だと自分は思っています。
逆に言えば、世界的に見ても政府や金融機関、企業への信頼は基本的に何かしらの形で裏切られ、乱用され続けています。Facebookの個人データの利用と投票への介入、政府と中央銀行が一体化した放漫な金融政策、2,008年のリーマンショック時の金融機関の不正‥、例を挙げれば枚挙にいとまがないですが、個人レベルで見てもどんなに高尚な精神を持っている人でも誰かに裏切られた経験はあるでしょう。それらの多くの問題が国家や特定企業、一部の人間を信頼していたから、もしくは信頼せざるを得ない状態だったから、という見方が出来ると思います。
ビットコイナーのモットーは貨幣発行や価値の移転の文脈においてこの信頼を最小化すること、つまり「トラストレス」を追求することであり、ビットコインエコシステム内の全ての活動は基本的には信頼の最小化、もしくは分散化というテーマを中心に回っています。
このコンセプトはビットコインについてまだあまり深く理解していない一般層の人達からすると最初は意味不明、もしくは取るに足らないことだと思われがちですが、こういう性質は特に(起きてはほしくないですが)これから世界的に経済成長が停滞し、戦争の火種などが拡大、国家やお互いに対して信頼を持てる余裕がなくなってくる状況になると、その意味がさらに重く感じられるようになると思います。
(※ビットコインがどのようにProof of Workのマイニングやノードによるバリデーションを通してトラストレスな性質を実現しているかはここでは説明は割愛するので、外部ソースなどに当たってください)
ビットコインの対極に位置するFTX問題
そして今更説明する必要もないと思いますが、今回FTXで起きたことは完全にビットコインとその存在や目的と対極に位置するものです。
要は「みんながFTXとSBFを盲目的に信頼して預けたお金を裏で使い込まれて騙されてしまった」、平たく言えばそれだけの話です。
どんなに規模が大きくても、どんなに政治家やインフルエンサーと仲良くしていても、どんなに頭がよくても、どんなに利他的に見えても、経済的インセンティブや個を利するモチベーションがあれば信頼は必ず裏切られます。
もしかしたら自分のためではなく、愛する人の失態を隠すためだけに客の資産に手を出す、そういう一種のヒーロー的な行動を起こさざるを得ない時も人間ならあるかもしれないですが、目的のために他の誰かを裏切るという点では全て同じことです。
だからこそ人間の利益追求や裏切りを想定した上でそれでも動き続けるビットコインの仕組みがシンプルで美しいわけですし、ビットコインが可能にした第三者を信頼せずに自分自身で資産を管理するSelf-custodyの概念やリテラシーが重要になるわけです。
また、今回の件の直接の引金を引いたFTXが自分で無から発行したFTTトークンを利用した信用創造/リスクテイキングなども、Proof of Workのマイニングにより公平で発行プロセスが分散化され、Free moneyを許さないビットコインと対照的です。
無から生み出したコインを大部分自分に渡して価格をパンプして、それを裏付けに更に資金を調達して信頼を演出し、そこに集まったお金をさらに使い込む‥。
ビットコインがこういうことを起こさせないための技術開発や方向性を追求する一方で、裏庭でこんなことが起きてしまったのが今回の悲劇かつ喜劇のポイントという感じがします。
クリプト/Web3は信頼を再導入している
FTXの問題はあくまで中央集権的な取引所の信頼の問題だと考えている人も多いと思いますが、自分はこの問題はFTX単体だけの問題ではなく、ビットコインを除く「クリプト」とか「Web3」とか呼ばれる領域に共通する信頼に関する問題点を孕んでいると思っており、対岸の火事ではないと考えています。(※以下クリプトに統一)
FTXの爆発と一連の危機というのは、独自の仮想通貨やトークンを利用した短期的な利益追求、一部の人間や発行主体への信頼の再導入、過度なレバレッジやリスクテイキングを許容するクリプトと呼ばれる文脈の一部だと言って差し支えないと思います。
ビットコインを除くクリプトの本質を一言で言ってしまえば、それは独自トークンの発行です。
クリプトの世界では多くのプロジェクトが何かしらの用途でトークンの発行や販売をしており、直接的にトークンを発行していないものも含め多数の独自トークンの発行や売買がサービス設計や収益性の前提になっています。
クリプトの世界ではトークンを発行するプロジェクトの運営者とその近くにいる一部の開発メンバーや投資家や企業が各プロジェクトの主人公です。そしてそこに投資的可能性を見出した投資家やサービスに興味を持ったユーザーが周りを囲んでいき、トークンを購入することで金銭的にプロジェクトをサポートします。
トークンを利用することでプロジェクトは世界中から資金を集めやすくなるだけでなく、初期のユーザー獲得にブーストをかけることが出来るようになります。そして長期的にプロジェクトが成功すればトークンの価格は上昇し、初期の支援者も経済的リターンを得られ、有望なプロジェクトが多数立ち上がる。これがクリプトの世界の理想のサイクルです。
しかしその一方で、独自トークンの発行は発行主体や少数の人間への信頼を再導入し、トークン売却による短期的な利益や爆発的な成長、高い利率などと引き換えに、ビットコインの革新であったはずの分散性や検閲耐性を損ないます。また、多くの場合トークン発行は開発チームや周辺のVCやファンドなどの一部の有利なインサイダーを生み出し、リスクは一般投資家に転嫁されるような構造になりがちです。
例えば、NFTプロジェクトの主役はアーティストで、NFTの価値は最終的には中央にいる人達の頑張りで支えられいますが、大部分のファウンダーは最初にNFTを売り抜けた後はどんどんやる気を失っていき、結果としてNFT価格は急落します。
DeFiの多くのプロジェクトはYield Farmingなどで手に入るガバナンストークンを発行して一部のユーザーにエアドロップしますが、その多くは財団や一部の開発者や投資家のポケットに入ります。
分散型の組織をうたうDAOも、実際には大抵は中央の開発チームやメンバーが存在し、資産を管理し、報酬の分配を決めているのはあくまで一部の人間であり、現状通常の企業などと大差はないです。
また、独自のレイヤー1ブロックチェーンを構築するケースも増えていますが、場合によっては開発チーム内の少数の人間が特定のトランザクションを凍結したり、検閲することも出来るものも増えてきています。
トークン発行に付随するこれらの信頼の発生やインサイダーとそれ以外の公平性の問題は、具体的にこれからどのように解決していくのかその道筋も今は不明確ですし、そもそも集権化や検閲などの問題自体に対する課題意識がクリプトの世界ではこの数年でもどんどん希薄化してきているのが現状です。
今回FTXの本質的な教訓が、短期的な高利率や彼らの社会的信用に惑わされて彼らを信頼してしまったことだとするなら、トークンを発行する特定機関やその周囲のインサイダーへの信頼への回帰という文脈の中ではクリプトも本質的に向かっている方向性はあまり差がない気がしますし、クリプトの世界で常態化しているラグプルやプロジェクトの多額の資金のハック、それに伴う返金騒ぎなども本来まともな状況とは言い難いです。
FTXは信頼されていた大きな取引所で被害も多いので、これほどの大ニュースになっていますが、それより小規模な似たような事件が日常的に大量に発生しているのがクリプト世界の現状です。そしてそのような環境で最も活躍していたクリプトの寵児がFTXとかSBFだったことも考えると、この2つを分離することは難しいと思います。
もちろんユーザーの資産を預かる集権的な取引所(CEX)と、イーサリアムやSolanaなどのブロックチェーン、またはその上に構築されるDeFiと呼ばれるサービス群などには大きな違いもあり、集権的な取引所と比べれば透明性が高く、資金の持ち逃げが難しいノンカストディアルな仕組みであるという優位性や改善点はあると思います。
ただし、クリプトの世界では分散化という言葉を表面的には使いながらも、実態としてはむしろ集権化が進んでおり、トークン発行だけでなく、全体として技術的な妥協などを通してより集権化、検閲耐性の低下を受け入れ続けています。外部から見たらどれも全部同じに見えるとは思いますし、実際類似点ももちろん多いのですが、こと信頼の最小化という点ではクリプトはビットコインとは逆の方向に進んでいるわけです。
誤解なきように言うと、自分のここでの主張は信頼というアプローチから見ると、ビットコインとクリプトでは向かっている方向性が違うというだけであり、何かを信頼することが絶対に悪いと言っているわけでも、クリプトが成功しない、と言っているわけでもないです。
信頼を置いてしまった方がものごとが素早くスムーズに進むことも多いですし、例えばNFTのように元々アーティストやゲーム会社への信頼を許容してもいい文脈では、トークンの利用はアーティストへの支援やエンタメ性の向上などで役に立ちますし、全てにトラストレスの概念を持ち込むのはオーバーキルでしょう。
また、クリプトの世界は「社会的に好まれるものを追求する」という何となくの空気感があり、それに対して「トラストレスがどうの」「誰も信頼すべきではない」とか言い続けるビットコインの界隈は社会からの要請に応えられておらず、時代遅れである、という批判や主張は自分も一定の理解は出来ます。
ただし、トラストレスな性質というのは明確に意識して追求して、コミュニティ全体としてトレードオフを受け入れながら堅持する必要があるもので、クリプトの世界では機能性やスピード、収益性、社会からの受容性などをより重視して、トラストレスな性質を失い続けているという経緯は最低でも認識する必要があるでしょう。
ビットコインとクリプトの差はこれからさらに大きくなっていく
FTXの件がターニングポイントとなり、今後ビットコインとクリプトの差異や方向性の違いはさらに顕著になっていくと見込んでいます。
まず第一に、FTXの件を受けてクリプト規制全般が強化されるのは火を見るより明らかですし、今回のFTXの件を受けて規制は最低でも一部は受け入れなくてはいけないと改めて感じた人たちも多いのではないでしょうか?そしてその結果として口先だけの分散はこれから通用しなくなる可能性が高そうです。
最も簡単に想定出来るのがアメリカでのSECによる証券規制で、今後大部分のトークン、仮想通貨はアメリカでは証券認定される、というのが自分の現状の認識で、FTXの件はこのシナリオの可能性をさらに引き上げました。
アメリカでの証券認定は必ずしもプロジェクトの突然の死を意味するわけではないですが、アメリカ市場にアクセスできなくなる影響は大きいですし、証券認定に伴うコンプラ対応負担の増加なども考えると、独自トークンを持つクリプトプロジェクトの多くが事実上の撤退を余儀なくされるのではないでしょうか。
また、規制や特定のトランザクションなどの検閲リスクは独自トークンやウォレットなどの個別のプロジェクトだけではなく、イーサリアムなどのLayer1チェーンのプロトコルレベルにも及ぶ可能性があります。
海外では度々話題に上がりますが、イーサリアムのProof of Stakeのブロック生成レベルで、OFACコンプラ準拠をした、つまり検閲を実行しているブロックの割合が過半以上まで増えているという現象がすでに起きています。もちろん現状これがすぐにイーサリアムトランザクションの完全な検閲を可能にしているわけではないですが、今後OFACが本気で特定の事業者などにプレッシャーをかけた時に、ブロック生成レベルでの検閲耐性を守れるかは懸念が残ります。
また、イーサリアム上のレイヤー2技術として期待されているRollupsも、サーバを運営する事業者による検閲は比較的簡単に出来てしまう構造になっており、今後ここに何かしらのプレッシャーがかかってくる可能性があります。これはペイメントチャネルがつながりあい、特定のノードの検閲や不正行為を迂回することが技術的に可能であるビットコイン上のライトニングネットワークの構造と大きく異なっています。
トークン発行以外でもこのような細かい技術選択や、意思決定というのがビットコイン以外のクリプト全体として集権性や信頼を受け入れる方向であり、イーサリアムより更に分散性や検閲耐性が劣るその他の類似チェーンに関してはそもそも集権性を特に問題視していない(というかむしろいいことと認識している)気すらします。
当然同様の規制や検閲リスクはビットコインやライトニングにもあてはまる話ではありますが、上述の通りトラスレス性や検閲耐性、プライバシーなどをコツコツ追求しているビットコインと、機能性や流動性、成長速度などと引き換えに集権化のトレンドを許容しているクリプトとでは影響度合いや深刻さは大きく変わってくると思います。
投資家にとってはこれはビットコインとクリプトで、長期的な価格のトレンドが変わってくることを意味するかもしれないですし、起業家や関連企業にとっては規制リスクの差、また作るべきプロダクトや機能、事業として選択すべきチェーンの判断などの形で今後さらに表面化していくでしょう。
みんなちがってみんないいとは言うが‥
この記事の主張はある意味では「みんなちがってみんないい」ということになってしまうかもしれないですが、信頼というテーマについて改めて考え直す必要があるとは思います。
そもそもビットコイン以外の仮想通貨も「分散」と言っていれば同じ性質が得られると甘く見ている人たちも増えていますし、信頼を最小化するということの必要性についてもFTXのような事件が起きるまでは重視されないわけです。
また、日本でも「Web3を国家戦略に」と盛り上がるのは大いに結構ですが、海外で認識が強くなってきている「ビットコインとクリプト/Web3は別物である」という主張や、表面的に分散とかDAOとか言えば何かが分散化されたり革新的になるわけではなく、明確な意識と技術的な選択の上に成り立っているということをせめて理解すべきと思います。
じゃないと、みんなで盛り上がって分散型の世界がやって来ると思っていたら、信頼する対象が変わってスタート地点に戻っていただけという結末を迎えてしまうかもしれません。そしてそれって極論FTXから何も学んでなかったということになりますから。